Feb
16th
Tue
16th
私は、38歳で、16年勤めた会社を辞め、
フリーの編集者になろうとした。
しかし、どの出版社も企画部門は外に出したがらない。
フリーのライターは成立しても、
フリーの編集者が成立しないと辞めてからわかった。
「会社」を辞めた、
ただそれだけだったはずだ。
しかし、いったん会社の外に出たら、
「社会」からも干されてしまっていたことに、
初めて気づいて、動転した。
私は、個人として、
再びどうやって社会に入っていったらいいか
わからなかった。
自分と社会は、
ダイレクトに「へその緒」で
つながっていたのではなかった、
ということだ。
会社と社会は、へその緒でつながっていた。
私と会社は、へその緒でつながっていた。
だから、会社とのつながりが切れたら、
社会からも、自動的に切り離されてしまっていた。
思えば、小学校・中・高・大学と、
箱が、社会とつながっていた。
チューブを通して栄養が補給されるように、
「へその緒」を通して、
社会から、必要な情報も、信頼も、愛情も、
与えられ、守られてきた。
あまりに当たり前に「居場所」が
与えられる生活をしてきたので、
自分の手で「居場所」を切り開くことに、
あまりにも無頓着で生きてきてしまった。
だが、いったん「居場所」を失うと、
狭い箱に閉じ込められたように、とたんに
「不自由」きわまりない生活になった。
平日の昼間、一件のメールも、電話も、
一人の私を待つ人もいない。
働き盛りなのに、ふて寝をするより他ない。
日々、社会から忘れられ、人々から干され、
輪郭を失っていく自分。
もちろん、私には家族もいるし、友人もいる。
けれども、人は、家族や友人のように、
「好き」でつながっている人間関係だけでは
生きられないのだと悟った。
少なくとも自分はそうだ。
もっと大きな枠組みでの、人との「絆」が要る。
必要とされたり、役に立てたり、
貢献したり、協力しあったり‥‥、
単に好き嫌いを超えたところで、人と人は、つながりあい、
影響しあって、生きていける存在なのだと、
干されてみて、身にしみて思い知った。
あれから9年、フリーランスとして、コツコツと、
こんどは自分の手で「居場所」を築き、
自分と社会とが「へその緒」がつながってみて、思う、
「へその緒」からは、収入だけではない、
生きていくための養分がたくさん注がれているなあ、と。
もちろん、仕事を通して、社会に「貢献」し、
その対価である報酬、つまり「お金」を得る、というのが、
「へその緒」の主な行き来だけれど、
それだけではない。人はそれだけでは生きられない。
社会からの信頼であったり、
社会からの愛情であったり、
必要とされている感だったり、役立ち感だったり、
役に立つ情報だったり、知恵だったり、
自分の能力の発路だったり、
充実感だったり、歓びだったり、
収入を代表に、生きるために必要な栄養が
「へその緒」を通じて、激しく、
自分と社会を行き来している。
フリーの編集者になろうとした。
しかし、どの出版社も企画部門は外に出したがらない。
フリーのライターは成立しても、
フリーの編集者が成立しないと辞めてからわかった。
「会社」を辞めた、
ただそれだけだったはずだ。
しかし、いったん会社の外に出たら、
「社会」からも干されてしまっていたことに、
初めて気づいて、動転した。
私は、個人として、
再びどうやって社会に入っていったらいいか
わからなかった。
自分と社会は、
ダイレクトに「へその緒」で
つながっていたのではなかった、
ということだ。
会社と社会は、へその緒でつながっていた。
私と会社は、へその緒でつながっていた。
だから、会社とのつながりが切れたら、
社会からも、自動的に切り離されてしまっていた。
思えば、小学校・中・高・大学と、
箱が、社会とつながっていた。
チューブを通して栄養が補給されるように、
「へその緒」を通して、
社会から、必要な情報も、信頼も、愛情も、
与えられ、守られてきた。
あまりに当たり前に「居場所」が
与えられる生活をしてきたので、
自分の手で「居場所」を切り開くことに、
あまりにも無頓着で生きてきてしまった。
だが、いったん「居場所」を失うと、
狭い箱に閉じ込められたように、とたんに
「不自由」きわまりない生活になった。
平日の昼間、一件のメールも、電話も、
一人の私を待つ人もいない。
働き盛りなのに、ふて寝をするより他ない。
日々、社会から忘れられ、人々から干され、
輪郭を失っていく自分。
もちろん、私には家族もいるし、友人もいる。
けれども、人は、家族や友人のように、
「好き」でつながっている人間関係だけでは
生きられないのだと悟った。
少なくとも自分はそうだ。
もっと大きな枠組みでの、人との「絆」が要る。
必要とされたり、役に立てたり、
貢献したり、協力しあったり‥‥、
単に好き嫌いを超えたところで、人と人は、つながりあい、
影響しあって、生きていける存在なのだと、
干されてみて、身にしみて思い知った。
あれから9年、フリーランスとして、コツコツと、
こんどは自分の手で「居場所」を築き、
自分と社会とが「へその緒」がつながってみて、思う、
「へその緒」からは、収入だけではない、
生きていくための養分がたくさん注がれているなあ、と。
もちろん、仕事を通して、社会に「貢献」し、
その対価である報酬、つまり「お金」を得る、というのが、
「へその緒」の主な行き来だけれど、
それだけではない。人はそれだけでは生きられない。
社会からの信頼であったり、
社会からの愛情であったり、
必要とされている感だったり、役立ち感だったり、
役に立つ情報だったり、知恵だったり、
自分の能力の発路だったり、
充実感だったり、歓びだったり、
収入を代表に、生きるために必要な栄養が
「へその緒」を通じて、激しく、
自分と社会を行き来している。
— ほぼ日刊イトイ新聞 - おとなの小論文教室。 (via kotoripiyopiyo)